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原文:アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係
譯文:百度Blog 原色天空
■ アニメ化は必ずしもうれしくない!? 作家とメディアミックスの微妙な関係
動畫化未必就值得慶幸!?作家和媒體協作的微妙關係
1つの作品を小説や漫画、アニメやラジオドラマなどで同時多発的に展開し、相乗効果でそれぞれの注目度を高めていくメディアミックス。コンテンツ業界では親和性の高い媒体ということで、小説のテレビドラマ化や映画化、漫画やライトノベルのアニメ化などがよく行われている。
原作となる小説や漫画の作者にとっては、メディアミックスは広告効果となるため、知名度が上がったり、原作の売り上げが増えたりするなどメリットは多い。しかしその一方で、ライトノベル作家の松智洋氏は「作家は必ずしもアニメ化を喜んでいるわけではない」という。
2010年4月期にアニメ化された『迷い猫オーバーラン!』の経験を例に、松氏は作家にとってのメディアミックスの功罪を語った。
所謂「媒體協作」,指的是將一部作品通過小說、漫畫、動畫和廣播劇等多種形式同時多元地進行創作推進,利用協同增幅效應來提高彼此的受關注程度的策略。在文化行業中,由於媒體間彼此的親和度較高,將小說翻拍成電視劇或電影、將漫畫或輕小說動畫化的現象都經常可見。
對於作為原作作者的小說家或漫畫家來說,媒體協作可以產生廣告效果,有諸如提高知名度、增加原作銷量等多種益處。但另一方面,我們卻聽到了輕小說作家松智洋先生「作家未必會為作品動畫化而高興」這樣的聲音。
松先生以自己在2010年4月檔動畫化的作品《迷途貓》的經驗為例,談了對家來說媒體協作策略的功與過。
■ ライトノベルがアニメ化しやすい理由
輕小說容易被動畫化的緣由
松 僕が書いている『迷い猫オーバーラン!』という作品は、アニメが2010年の4~6月に放映されました。小説9巻、漫画2巻、ファンブック1巻で合わせて200万部強売れているのですが、正直知らない人の方が多いだろうと思います。ヒットコンテンツの中に入れてもらえるとは思うのですが、同規模の作品が今、大量にあるという認識があるからです。
並行して『パパのいうことを聞きなさい!』という小説を現在4巻まで出していて、30万部強売れています。非メディアミックス展開の作品としてはそこそこ上位の数字だと言えますが、恐らく誰もご存じない。しかし、ここにこの先の話をする意味があるので、それを前提に置いた上で進めさせていただきます。
本人松智洋寫的《迷途貓》這部作品,於2010年4月到6月動畫化播出。雖說是一部發行了9卷小說、2卷漫畫和1卷Fan Book、合計銷量達到了200萬本的熱賣之作,但老實說知道的人其實不多吧。雖說也能算一部比較賣座的作品了,但同時也認識到如今同類型規模的作品是大量存在的。
同期的小說《聽爸爸的話!》現在出到第4卷,大賣了30萬冊。雖說作為一部沒有進行媒體協作的作品來說這個數字已經相當不錯了,但恐怕誰都不知道這部作品的存在。我在前面先介紹這個情況是有意圖的,請大家把這個案例當做前提且聽我繼續說下去。
2000年代に入ると、その(ガンダムやエヴァの)ような“誰もが見ている作品”が極端に減少します。
その理由は単純で、1990年代までは半年に30本も作られていれば多かったアニメ作品が、メディアミックスの成功から、放映権料の安い深夜枠を狙って大量に制作されるようになったからです。
そうなると発生する問題が原作不足です。ちょっと人気がある作品はどんどんアニメになっていくという状況が生まれ、しかもそのアニメの作品寿命が非常に短くなっているのです。
結果としてちょっと人気がある作品はすぐアニメ化の声がかかるようになりました。メディアミックスを展開するために、業界はどんどん新しいコンテンツを供給し続けないと、その状況が維持できないという逆転現象が起こり始めているのです。メディアミックスという形が前提にあるので、メディアミックスに対する手作り感や、1つの作品を大切に伸ばしていこうというものはどうしても薄れてきます。
進入了2000年後,像鋼彈和EVA那樣能成為「人人都在看」的作品極端地減少了。
理由很簡單,在上世紀九十年代之前半年內最多也只出30部作品的動畫界,後來因為媒體協作策略的成功,都瞄準了播放權費相對便宜的深夜檔進行了大量的製作。
在這種狀態下會產生原作不足這一問題。出現了稍有人氣的作品就會被接二連三地動畫化的狀況,而且這些動畫的作品變得非常短命。
結果是,稍微有點人氣的作品就會立即引來動畫化的呼聲。為了迎合媒體協作的開展,業界若不源源不斷地進行新內容的供給,這種狀況就無法維持這一倒置現象開始出現。在媒體協作這種形式的前提面前,作品本身的細膩感、以及將一部作品悉心地培養下去的心情也在不知不覺被沖淡了。
ライトノベル作家の立場からすると、アニメ化するのに必要な単行本数が、漫画に比べるとライトノベルでは少なくていいと言えます。例えば、週刊連載の漫画であっても、単行本を4巻出すには最低でも1年間かかります。その1年間でキャラクターをどれだけ出せるかというと、10キャラクターを出したらもうパンクするような内容になりがちです。一方、ライトノベルでは1巻で10キャラクター扱うことも可能です。特にヒット作を出すようなライトノベル作家には比較的多作な人が多くて、平均で年4巻程度書くと考えると、漫画10巻分くらいのキャラクターを1年で出すことができます。そういう意味で、ライトノベルはメディアミックスの種として使いやすいので、新作でちょっと人気があるとすぐに「アニメ化したい」という声がかかる状況が近年続いていると認識していただいていいと思います。
站在輕小說作家的立場上來說,和漫畫相比,輕小說動畫化所必須的單行本數可以少很多。拿週刊上連載的漫畫來舉例,單行本要出4卷最少也要花上1年時間;至於說到這一年時間能讓多少角色出場,這種篇幅下能有10個都基本處於飽和狀態了。再來看輕小說,輕小說單單一卷就有描寫10個角色的可能,特別是一些能寫出熱賣作品的輕小說作家很多都是比較高產的,一年平均就算出4卷左右的話,漫畫要用10卷才能塑造的角色輕小說只要1年就能搞定了。在這種條件下來說,輕小說比較容易成為媒體協作的目標,想必大家也能看到近年來新作稍有人氣就立即有「希望能動畫化」呼聲的這一現狀。
■ 「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として語られてしまう
「動畫成不成功=原作成不成功」的公眾言論趨勢
ライトノベル作家としては、アニメ化される機会が増えた2000年代の状況は非常にありがたいことだと思っています。「作品の人気が出れば、アニメにしてもらえるだろう」と思いながら書いている状況は事実としてあると思います。
しかし、アニメになるかならないかというレベルまで作品が売れたところでみんな思うのが、「アニメがこけたら、僕の小説も絶対こける。どうしよう、本当にいいアニメにしてもらえるのかな」ということです。そういう恐怖を感じながら作品と向き合っていくことが必ず発生するのが、今のライトノベル作家のメディアミックスへの視点だと思います。
一方、ライトノベル作家を目指している人たちや、若手の人たちには「どういう作品を書いたらアニメになるだろうか」と考えながら書いている人も増えていて、これはアニメ化される可能性が高くなったがゆえに発生している逆転現象かなとは思います。
對於我們輕小說作家來說,在21世紀初能有更多動畫化的機會是非常可喜可賀的。很多人都是抱著「如果作品能有人氣的話,就能被動畫化了吧」這種心情在奮筆疾書,這種狀況在客觀上也是存在的。
但是,在自己作品熱賣、半隻腳跨進動畫化的時候,大家心裡糾結的又是:「如果動畫遭滑鐵盧了,我的小說也一定要遭殃了。怎麼辦呢,他們是不是真的能把這部動畫做好呢」這個問題了。之後自己不得不心懷恐怖感去面對自己作品的情況必然會發生,相信這也是如今的輕小說作家面對媒體協作的一個視點了。
可同時,以成為輕小說作家為目標的人們、或者是那些輕小說新人群體中,一邊考慮著「要寫出怎樣的作品才能被動畫化呢」一邊揮筆的人逐漸增多,這正是因為動畫化可能性提高的背景下催生的一種本末倒置現象吧。
現在のアニメ化に関する作家側の視点ということで、『迷い猫オーバーラン!』をアニメ化していただく上で実際に僕が考えたことや感じたことを交えながら語っていこうと思います。
まず、「アニメ化したい」という企画書は、基本的にはプロデュースをする制作会社から出版社に提出されます。いただいた企画書に対して、編集部やライセンスのセクションの人が納得したものだけが原作者に回ってきます。ここで大きく分かれるのは、原作をそのままアニメにする原作準拠の企画書なのか、原作はもとにするもののアニメではオリジナル要素が強いものを作るという企画書なのかということです。
關於如今和動畫化打過交道的作家一方的視點,我想結合我本人在《迷途貓》動畫化過程中的所想所感來談談自己的看法。
首先,「希望能動畫化」的企劃書,基本上是由製作方公司向出版社提交的。接到企劃書後,只有在獲得編輯部或版權部門的認可後才會移交到原作者的手中。在這裡會產生巨大分歧的是,是應該接受一份嚴格按照原作來寫的企劃書,還是採用一份在原作框架基礎上的有強烈原創要素的企劃書這個問題。
今は原作準拠の方が主流なのですが、少し前までは『週刊少年ジャンプ』原作のアニメであっても、原作通りにはやらないということが普通でした。僕はゲームやアニメのシナリオライターを長くやってからライトノベル作家になっているので、そちら側の観点がどうしても入ってしまうのですが、「アニメにはアニメの文法があるのだからそれに合わせるべきだ」というのが、僕が業界に入って最初に習ったアニメの作り方です。
一方、作家の立場からすると、メディアミックスによって得られる金銭的な対価はさほど関心の中心にはならなくて、多くの場合は自分の作品をどういう風に伸ばしてくれるか、大事にしてくれるか、楽しく面白く作ってくれるかというところが企画書を見る時の主眼となります。
如今,雖說遵循原作還是主流的,但不久之前,即使是《週刊少年JUMP》原作的動畫,不按原作路線來製作動畫的情況也已經很普通了。我本人長時間身為一個遊戲和動畫的劇本作家,之後才轉型成輕小說作家的,以我的觀點來說最重要的還是「動畫有其本身的章法,必須要符合動畫的章法才行」,這也是我進入業界後首先學習到的動畫製作思想。
另一方面,從作家的立場上來說,我關心的重點並非是通過媒體協作能獲得的金錢上的利益,在面對企劃書的時候更多著眼的是自己的作品會被以怎樣的方式進行拓展、自己的想法是不是被認真對待了、能不能做成一部精彩有趣的作品。
■ 創作活動の停滞が、アニメ化の後には起こりやすい
動畫化容易出現的後遺症:創作活動停滯
……と言いつつも、アニメ化されると良いことも多いです。まず、知名度が上がります。作品の知名度が上がればやはり手にとってもらいやすくなりますし、何より本屋に置いてもらいやすくなる。アニメ化による宣伝効果で販売部数が増えればそのまま収入になりますし、アニメのDVDやグッズが出れば二次収入も入ります。
何よりこれだけアニメ化される作品数が増えてくると、アニメ化されていることが人気のバロメーターになるんですね。「書き続けられる場所を得られる」ということが、一番大きなメリットになると思います。逆に言うと、これを手に入れないと作家としては非常に不安なわけです。
……說了那麼多,動畫化帶來的好處很多這一點是不可否認的。首先,知名度提高了。作品的知名度以提高會帶來很多便利,最重要的是作品比較容易在書店上架了。動畫化所產生的宣傳效果會直接反映在作品銷售量的增長上,並且會變成我自己的收入,出的動畫的DVD或周邊商品也會成為我的二次收入。
更重要的是被動畫化的作品數量增多後,其本身能帶動人氣指數的上升。換句話說就是「獲得了能夠繼續寫下去的空間」,對我們來說是最大的利益。反過來說,不能實現這一點的作家會非常不安的。
また、作家になって出版社主催のパーティなどに行ったら、作品がアニメ化された作家が10~20人くらいいらっしゃるのですが、その人たちはだいたい固まって話しているんですね。それで、作品がアニメ化されてない作家は、それを違う側で見ているわけです。そこに埋めがたい距離感というのがあるので、みんな何とかして向こう側に行こうと必死なわけです(笑)。
それではアニメ化によるデメリットは何か。これはほとんどの作家が周知として知っていることで、その上でもアニメ化してほしいと思っているという前提なのですが、1つは「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として扱われてしまうことです。
另外,在成為作家後參加出版社主辦的宴會之時,有作品動畫化經歷的十幾二十位作家基本上都會固定聚在一起談話,然後那些作品沒有被動畫化的作家只能在另一邊眼巴巴地看。正是因為那種橫亙在心的距離感的存在,所以大家才都如此拼命想要躋身對面的行列中去吧(笑)。
那接著說說動畫化會帶來的負面影響吧。其一是為基本所有的作家都心知肚明,但在該前提下還是想要動畫化的一個因素,那就是「動畫成不成功=原作成不成功」這一傾向。
これはアニメの出来が良い、悪いに関わらず、自分の作品の評価にそれによるバイアスがかかります。つまり、原作よりアニメの方がすごく面白い場合でも、原作者の心は折れます。原作よりアニメの方がすごくつまらない場合も、原作者の心は折れます。本来、切り離して考えなければいけないのですが、それは非常に難しい。
そのため、アニメ化される時は、作者側としてはかなり腹をくくらないと、首を縦には振れません。漫画家の場合は今、本当に首を縦に振らない人が増えています。人気がある作品でも、アニメがこけたことで何となく終わった感を作られてしまい、販売部数が減ってしまう危険性が高い、もしくは自分の意に沿わないアニメが作られることによって嫌な気分が発生し、モチベーションが下がるのが怖いということで、漫画家はアニメ化についてシビアに考えるようになっている印象があります。
就是說無論動畫做得是好是壞,公眾對自己作品本身的評價都會產生扭曲。換句話說,即使是動畫做得比原作還要好很多的情況下,原作者要中槍;動畫要比原作無聊很多的情況下,原作者也要中槍。雖說本來這應該是區分開來考量的兩個方面,但真正要做到卻非常困難。
正是因為這個情況,在定奪是否同意動畫化的時候,原作者一方若沒有做好相當程度的心理準備是不會點頭的。如今不輕易點頭的漫畫家也增多了,即使是很有人氣的作品,只因動畫遭遇滑鐵盧隨即帶來「這下完蛋了」的絕望感,原作銷量銳減的危險性也陡增;或者,並非按自己的本意製作的動畫會給原作者帶來負面的情緒、造成創作熱情低下的可怕後果,因此漫畫家們在對待動畫化的時候總給人一種很刻薄的印象。
ライトノベル作家の場合は、(アニメ化して失敗した作品を)終わりまで書くのをあきらめて、新作を書き始めてしまうといった作戦がとれるので、アニメ化に対しての熱意が強い人が多いようには感じます。
また、「アニメの終了=原作の終了」ということになりがちです。アニメ終了後に販売部数を伸ばす作品はまれで、途中でのアニメ化が作品の寿命を短くしてしまうというデメリットが発生します。そして、アニメが無事終わり、原作も無事終わったという状況になったとしても、そのアニメ化された作品の次回作というのはどうしてもハードルが上がるんですね。
對於輕小說作家來說,可以採用將動畫化失敗的作品給棄掉不寫到底,轉而投入新作寫作這種作戰手法,所以感覺對動畫化有強烈熱情的輕小說作家相對比較多。
另外,時常還會發生「動畫完結=原作完結」的狀況。動畫完結後原作銷量很難上升,在原作未完結時就動畫化的作品的壽命也往往會縮短等負面作用會顯現。然後,雖然也有動畫和原作都得以順利完結的情況,但這部動畫化作品的下一作的難度會提升。
ですので、アニメ化の最大のデメリットは、アニメ化後に作家が新作を発表することの難しさと生みの苦しみではないかと思います。これは漫画化や大規模な宣伝があった場合でも同じです。下駄を履かせてもらっている感じが作家側に必ずあって、「作品が自分の力で売れているのではなく、メディアミックスによって売れているのではないか」と感じて、「次も同じようなことをしてもらえないと、同じように売れないんじゃないか」という恐怖と戦い続けることになるのです。
綜上,我認為動畫化帶來的最大不利因素,是動畫化後對作家的新作發表所帶來的難度和在創作上帶來的煎熬。在漫畫化和大規模宣傳的情況下也同樣如此。作家心裡也一定會產生壓迫感,不得不和內心諸如「作品不是靠我自己的力量才賣得好的,而是媒體協作產生的效果吧」「如果下次不像這樣參加媒體協作的話,就不會賣得那麼好吧」這樣的恐怖感作戰。
■ 作家がメディアミックスに望むこと
作家渴望從媒體協作中得到的東西
こうした状況を前提に、作家がメディアミックスに望むこととして、2つ挙げたいと思います。
1つ目は分かりやすいのですが、「メディアミックスとして良いアニメ作品を完成してもらい、結果として作品の寿命が延びるように、息の長いコンテンツとして育成してもらうこと」が一番の望みだと思います。コンテンツを作る人からすると、原作は種だと思うんです。僕らの書いているストーリーやキャラクターはコンテンツの種で、それを育成したり、伸ばしたり、弱点を補ったりするのがメディアミックスの理想なのかなと思います。
以此上述情況為前提,我想舉2個作家渴望從媒體協作中獲得的東西。
其一很易懂,「通過媒體協作請人家完成一部優秀的動畫,獲得原作壽命延長的結果,培育一個相對長久的文化產品」是作者最為渴望的東西。對於文化創作者來說,原作就是種子。我們筆下的故事和角色正是這些種子,將其培養、伸展、拾遺補缺,正是媒體協作所能帶來的理想效果。
それに足る原作を作れるかどうかという意味においては、作家側の責任も当然あるわけです。しかし、今のように1クールのアニメで短命のブームを一瞬巻き起こして、1年後には誰も覚えていないという状況になることは、作家側としては必ずしも望ましいわけではないと思います。
そのために考えるのが2点目で、メディアミックスをされる方々が売れている作品に飛びつく形ではなく、メディアミックスによって相補的な関係を築ける作品を選んでアニメ化していただければ良いのではないかと思っています。結局、原作準拠のアニメを作っていくというのは、「原作を買っている人の何割かがDVDを買ってくれればペイするじゃないか」というビジネスモデルになりかかっているような恐怖感があるんですね。
だから今、企画書を軸として小説でもアニメでも漫画でも面白い作品を作っていこうという冒険がなかなかしにくいし、それをやって失敗するとネットなどでものすごくひどい目にあいます(笑)。
在能否創作出符合這一條件的原作的問題上,作家方面當然是有責任的。但是,如今這種僅1季的動畫瞬間卷起一股短命的熱潮,而1年過後誰也不記得了這一現狀,想必作家方面也未必會覺得如意。
正因為如此想到的第2點是,並不要急功近利地將一部作品通過媒體協作打造成形式上的熱賣作品,而是通過媒體協作這一途徑選擇一些能夠構築互補關係的作品進行動畫化不是更加理想嗎。如果到頭來,遵循原作來製作動畫就是為了計算「買原作的人究竟會有幾成會來買DVD」,陷入這種商業模式的話就真的令人毛骨悚然了吧。
所以說如今,以企劃書為中心來創作小說也好動畫也好漫畫也好這種冒險還是非常艱難的,一旦失敗的話在網路等地方難免還會遭到嚴酷的對待(笑)。
最後にメディアミックスされる側の作家として心がけたいことがあるとすれば、新たなコンテンツの種になる作品を生み出すためには、現在アニメ化されている作品の類似作ではなく、新たな市場を感じさせるようなものを書くことが理想だろうと思うのです。「アニメ化されたい」と思うと、アニメっぽい作品を書いてしまうわけですよ(笑)。
つまり、アニメで見たようなものを書くという不思議な現象が起きていて、「これは下手をすると作家側からメディアミックスを縮小させているぞ」という恐怖感が今あります。そのためメディアミックスされることにこだわらず、自由な発想で作られた作品がむしろ突破口を開いていくのかなと感じているので、僕を含めた作家側はなるべく冒険をした方がいいのかなと思っています。
文章最後我想要給參加媒體協作的作家提兩句建議,為了孕育出足以擔當新文化「種子」大任的作品,不要拘泥於去複製已經動畫化了的作品,而是應該用筆去開拓嶄新的市場才比較理想。若是一直想著「好想被動畫化」的話,自己筆下出現的也會變成酷似動畫的四不像了哦(笑)。
就是說,寫出的作品讓人產生仿佛在動畫的哪裡看到過的不可思議的現象,「如果寫得不好媒體協作的可能性就會減小了哦」這種恐怖感如今仍然歷歷在目。為此,應當不拘泥於是否能實現媒體合作,通過自由的想像創作出來的作品反而是達到這一目的的突破口,我認為包括我自己的作家陣營都應該盡可能地在這方面去冒一下險。
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這篇譯文是我在近一個月前看到的,雖然早就想轉貼過來,但因為後來發生震災,氣氛暫時不合而一直擱置著,正好前陣子巴哈有人轉了幾篇關於動畫製作的文章,才讓我想起這件事,既然都在巴哈貼了,我也順便發來基地這裡。
對創作者來說,自己的作品能出現在螢幕上,無疑是一件成就,許多動畫化的作者也都會在作品後記中寫出自己的興奮。然而伴隨著近年日本動畫量增質降的現象,許多讀者一方面期待自己喜歡的作品能動畫化,另一方面卻又擔憂著呈現的品質,理所當然的,也會想知道作者對「自己的作品走樣」持有什麼感想。
身為遊戲、動畫劇本家、小說家的松智洋老師在這篇訪談中提到了許多想法,雖然也許不能代表全體作者,但絕對值得各位當作一個思考的方向。 |
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